アートディレクター 大橋謙譲に聞く「32歳の成長痛。」

6 / 20 . 2019

入社11年目のアートディレクター、大橋謙譲。現在は、2018年7月に設立されたクリエイティブブティック「CHERRY」のADとして活動している。ADK9年、CHERRY1年というキャリアを経て、今何を思うのか。10年間の奮闘記とこれからのことについて語ってもらった。

ADK 1〜4年目:東銀座、新宿、自宅。3つの家で。

やっとの思いで入社したADK。なぜか漠然とした焦りがあって、とにかくたくさん働いていました。といっても、働いた分だけ何かを生み出していたわけではなく、単純に仕事が遅かった。デザインも、企画も。
今ではありえないことですが、当時はロッカーにお泊りセット一式を常備して、みんなが帰るとこっそり着替えて、パジャマで仕事。定宿は東銀座オフィス13Fのソファ。日々眠かったけど、そういう毎日が好きでした。今思うと「家帰れよ」というかんじですね。笑 「もっと効率的にやれたのかな」という気もしますが、たぶん、自分なりに精一杯やっていたんだと思います。(もちろん今は、毎日自宅に帰っています。)

OJT担当だった方には「時間があったらとにかく本屋に行け」と言われていて、六本木のTSUTAYAに通っては広告やデザインの本を読み耽っていました。(当時、書籍フロアとカフェが融合した店舗はここくらいだったので。Pinterestのような便利なサービスもなく、かつ「レンポジで探すな」という指導も受けていたので、ビジュアル資料は主に紙媒体から探していました。)
自由なだけでなく、早いうちからチャンスとプレッシャーを与えてくれる方でもありました。厳しい方でしたが、そんな風に育てていただいたので、忙しくても眠くてもストレスを感じることはありませんでした。

「若いうちから活躍したい」という欲だけは一丁前にあって、空いた時間は友人とひたすらコンペにエントリーしていました。新宿にシェアオフィスを借りて、そこを“何かを生み出す場”として位置づけていました。こう書くといかにも“意識高い系”な集まりで、ウォーホルのThe Factory的サロンを彷彿とさせますが、実際には、人をたくさん呼んで屋上でサンマを焼いたりしていました。笑 ただ、とにかく愉快なメンバーが集まっていて、たのしかったです。(下記は、そんなメンバーたちとつくったコンペ作品の一例)

Heat Pad Pencil(Prix Émile Hermès Finalist):40歳以下のデザイナーを対象としたエルメス主催の国際コンペティション。竹が粉末状になったときに生み出す発酵熱に着目し、「削りカスを懐炉として再利用できる竹鉛筆」を制作しました。

ナンバリングハンカチ(MUJI AWARD入選):一度使って汚れてしまった面を再度使わなくてすむよう、数字がふられているハンカチ。アジア各国の無印良品で巡回展が行われたのですが、中国で作品が盗まれてしまいました。笑 今ではいい思い出です。

Oil & Vinegar:シェアメイトの一声で2012年に個展を開くことになり、その展示でメインとなった作品。オリーブオイルとバルサミコ酢が分離するさまを高解像度でスキャンしています。個展後、いくつかのコンペで賞をいただきました。

素敵な上司に恵まれ、刺激的な友人らに囲まれ、「20代のうちに必ず何かやらかしてやる」と息巻いていたけれど、仕事で目立った活躍をするわけでもなく、かといってヤングカンヌの代表になれたわけでもなく、悶々としたまま平凡な新人時代は終わっていきました。

ADK 5〜9年目:転職活動と2つの転機

同級生のADたちが他店で活躍する姿を見て、自分が凡人であることにようやく気づきはじめた入社5年目。それでも、浅はかなことにまずは環境のせいにして、こっそり転職活動なんかをしていました。そんな中、幸いなことに2つの転機が訪れました。

1つめは『虎の穴』と呼ばれる社内制度。第一線で活躍するクリエイター(社外)に仕事を見ていただく「実践型クリエイティブ塾」のようなものです。(CMチームの講師はなんと岡康道氏!) ADチームの講師は、僕が大学の頃からずっと憧れていた方でした。はりきって何度か通いましたが、結果、目が覚めるほどにこてんぱんに打ちのめされました。講師の方が厳しかったのではなく、ただただ自分の次元が低かった。会社を変えたところで、自分のAD人生の道が開けるわけではない--そんな当たり前のことに気づかせてくれました。

2つめは、社内で尊敬しているADの先輩につけたこと。入社3年目でADの名刺をいただき(ADKはわりと早いのです)、「一人でも意外とできるな」と盛大に勘違いをしていた自分にとって、その方との出会いは本当に大きかった。このタイミングで弟子入りってどうなんだろう…と一瞬戸惑ったりもしましたが、勘違いしたまま今を迎えていたらと思うと、ぞっとします。ほどほどのものを納品しては「まぁ今回はわりと厄介なクライアントだったからな~」とか適当な言い訳を自分自身にし、結局いつまでたってもみんながハッとするようなビジュアルはつくれない。そんなADになっていたんだろうな、と思います。

新人時代に立てた「何かやらかしてやる」という頭の悪そうな目標を「まずはADKで1番のADになる」という地に足ついた目標に変え、こつこつ働いていた入社9年目の冬。CHERRY設立の話が浮上しました。

印象的だった仕事① 赤塚不二夫先生の周年キャンペーン(2015-2017):初めてADC年鑑に掲載された仕事。ようやく…という感じでした。小さなことのようだけど、自信を失いかけていた当時の自分にとっては大きな励みになりました。

印象的だった仕事② 「Myジャンプ」ローンチキャンペーン(2016):初めてCDを担当した仕事。ジャッジすることが多すぎて「CDってこんな大変なの…」と身をもって痛感しました。この案件以降、優秀なCDへの尊敬が増しました。

CHERRY 1年目:発足時のこと。これからのこと。

CHERRY設立に関しては、はじめから全員が「会社つくろうぜ!」と盛り上がっていたわけではありません。あるメンバーは、既に独立に向けて準備している最中でした。また別のメンバーは「外に出たら、おれたちはまだ三軍だから。」と反対しました。その言葉は今でも記憶に残っていて、悔しいけれど「その通りだな」と納得してしまいました。会社をつくったところで個々のスキルが上がるわけでもなければ、おもしろい仕事が舞い込んでくるわけでもない。それどころか今まではなかったフィーもかかるので「あいつらたいしたことないのに高いよな」などと揶揄される可能性すらある。笑
ただ、何度か議論を重ねるうちに、そういったリスク以上に「チャレンジしてみたい」という想いが強くなり、最終的には6人全員が同じ方向を向くことができました。
会社の方針としても、特徴のあるブティックを複数設立する「ブティック・サテライト構想」があったので、CHERRYは、その第一弾となりました。

CHERRYのADとして活動して、まもなく1年が経ちます。音楽フェスのアートディレクション、お菓子の商品開発/パッケージデザイン、フリーペーパーの創刊、新聞社とコラボしたプロダクトデザインの開発など様々な機会をいただき、おかげさまで充実したCHERRY LIFEを送れています。

一方で、充実感に満たされすぎるのもどうなのかなと時々感じます。そりゃストレスなく仕事できるのが一番ですが、“ストレス”や“怒り”はすっごくポジティブに捉えると「成長痛」のようなものなのでは…と最近思うようになりました。負の感情が生じるということは、何か思い通りにいかないことが身のまわりに起きているということ。それを乗り越える時に、痛みを伴いながらもほんの少しだけ成長できるのかなと。
一人でMacに向かってデザイン作業をしていると「(どうしよう、全然良くならない…涙)」と絶望的な気分に陥ることがあります。けれど、自分なりにいろいろ検証したり、それでもうまくいかなければ先輩に相談をしたりするうちに、少しずつ良くなっていきます。広告やデザインの仕事は成長を実感しにくい仕事ですが、こういったことの積み重ねでしか成長できないような気がします。

以前、あるクリエイターの本で「『できた』という達成感ほど危険な感覚はない」というフレーズを目にしました。一時的な快感(例えばアワードの受賞など)に惑わされず、痛みとともにじわじわと成長していくADになれたらなあ。そのご褒美として『できた(…かも?)』くらいの達成感をいつか味わうことができたら、それはとてもうれしいことです。

CHERRY – ホームページ/Instagram
https://chrry.jp/
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Kenjo Ohashi – Portfolio
https://ohashikenjo.com/

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